Evasion

フランス語とフランスワインをこよなく愛するフランス語ツアーガイドTokioのトラベルメモ

ノルマンディー地方を訪ねて - 港町ディエップ Dieppe と画家の愛した周辺の村

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今日は、フランス語ツアーガイドのTokioです。

 

今回は、2月12日から13日にかけて訪れたノルマンディー地方のディエップとその周辺の村を紹介します。


港町ディエップDieppe

 ディエップはルーアンから車で1時間くらい。電車だと50分くらいのところ。
ドーバー海峡に面した港町です。

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この町が最も輝いていたと言われているは20世紀の初頭。当時はフランスでも有数の避暑地だったらしく、ピサロ、モネ、ルノワールなどの著名な印象派の画家やドビッシーなどの音楽家、そしてプルーストなどの作家がやってきたようです。

港の一角にはこんなパネルが。

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1902年にピサロが描いたディエップの港の風景。

戦争中の爆撃で多くの著名な海辺の高級ホテルや市街の古い建物が破壊されてしまったため、現在では、切り立った絶壁が延々と連なる素晴らしい海岸線の風景を除いて、当時の面影はあまり残っていなようです。

ちなみに今のディエップの街並みです。

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中心街にある商店街。白っぽく見えるシレックス Silex と赤いレンガの建物がこの地方の特徴のようです。

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港のにある「漁協」の建物。シレックスとレンガ。

港にはこんなパネルも。

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港での釣りは禁止のようです。


ボンスクールのノートル・ダム礼拝堂、Chapelle Notre Dame de Bonsecours

 港から見えていた高台の上の教会。ピサロの絵にも描かれてました。
ボンスクールのスクール secoursには「救助」という意味も。

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断崖の上に立っている19世紀後半に建てられたこの礼拝堂はまるで灯台のよう。ここは祈りの場所であるとともに、海で亡くなった船乗りたちの供養塔の役割もしているようです。


この日、礼拝堂の中は光で溢れてました。

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ステンドグラスから差し込む光が虹のよう。

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壁に貼られた多くのパネル。海で亡くなった水夫、漁師に捧げるものでした。
中には、写真や供え物も。

それに混じってこんなパネルもありました。

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左のパネルに書かれているのは、1942年ドイツ軍の占領下にあったディエップの海岸でカナダ軍を中心とした連合軍による上陸作戦が行われた際に解放された戦争捕虜の囚人たちからカナダ兵への感謝と追悼のことば。上陸作戦は失敗に終わり、多くの若いカナダ兵が命を落としたようです。


礼拝堂のある絶壁の高台から見渡せるディエップの町と海岸線。

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高台の下には、ドーバー海峡を渡って対岸のイギリスのニューヘーブンへ行くフェリーの港も。一日に6便。4時間かかるらしいですが...

モネの描いたプルヴィル・シュル・メール Pourville-sur-Mer

 

Dieppeの港から県道75号線を西に10分ほど進むと、隣村の海岸出る。
シー川 la Scie と呼ばれる川の河口から付近から見る風景が素晴らしい。

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Dieppeのボンスクールのノートル・ダム礼拝堂のある高台から見えていた風景が目の前に広がっている。この辺りの海岸はアルバトル海岸と呼ばれているらしく、この断崖絶壁の海岸線が130km続いているということです。

その河口付近にはこんなパネルが。

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1882年にモネが描いたプルヴィル海岸の夕陽。

モネは1882年の2月から4月にかけてこの村に逗留して、絵を描いていたようです。

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近くにはもう一つ別のパネルも。

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右側の絵もモネ作。やはり1882年に描いた「Vallée de la Scie, シー川渓谷」。
シー川の河口付近から上流を眺めた風景。
実際はこんな感じです。

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ゆるやかな起伏を描きながら延々と広がる鮮やかな緑色の風景は、日本では見られない(?)Tokioのお気に入りの風景のひとつです。

大部分が牛の放牧用の農地のようなのですが。ノルマンディーといえばチーズのカモンベールの産地ということで、乳牛の放牧が盛んなのかも。もしかしたら北海道にも同じような風景があるのかも。

シー川の河口から車で5分ほど進むと、モネが通ったといわれるもう一つの村、ヴァルジャンヴィル・シュル・メール Vargenville-sur-Merに。

Monet と Braque のヴァルジャンヴィル・シュル・メール Vargenville-sur-Mer

 

ヴァルジャンヴィルは人口千人足らずの村。村といっても、緑の多い広々とした敷地にノルマンディーらしい家が建ち、比較的裕福な人たちが暮らす日本の別荘地のような感じの村なのです。

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この地方独特の屋根の大きい民家。

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 敷地が低い土手で仕切られているのが、この村の特徴のようです。海が近いからということらしいですが。

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道路もきれいに整備されてます。

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村のたばこ屋には新聞や雑誌も。

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隣村のプルヴィル Pourville に逗留していたモネも、よくこの村まで来て絵を描いていたようです。モネのほかにも、作家のアンドレ・ブルトンルイ・アラゴンも一時期この村に逗留して創作にあたっていたようですね。

この村でもう一人忘れてはいけないのは画家のジョルジュ・ブラーク Geroges Braque。村にある海沿いの切り立った断崖の上にブラークの墓がありました。


海を見下ろす断崖の上に立つ聖ヴァレリー教会 Eglise St. Valérie という小さな教会の敷地にある「海の墓地」Cimetière marin 呼ばれている墓地。

教会の入口。12世紀から16世紀にかけてつくられた古い教会のようです。

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中に入ると、墓地が。ここが cimetière marin 「海の墓地」と呼ばれるところ。
確かに海を見下ろす高台にあります。

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墓地から見える海はこんな感じです。

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ブラークBraqueの墓はこれ。

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墓標には鳥のモザイク画が。

小さな教会の中はこんな感じです。

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中はとてもシンプルです。正面の壁面に見える絵は、ミシェル・シリーMichel  Siry という今もこの村に住んでいる画家の作品のようです。

この教会の白い壁にはステンドグラスがありますが、これらはブラークがデザインしたもののようです。

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これも。まだ、他にもあります。

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一つ変わったデザインのステンドグラスは別の作家の作品ということです。

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絵画でノルマンディーといえば印象派を生んだ港町オンフルール Honfleurが有名ですが、ディエップの周辺にも画家と縁の深い村と素晴らしい風景がありました。

それでは、今回はこの辺で。
皆さんも、印象に残る旅を。Bon Voyage !!!